猫のつぶやき(=ΦωΦ=)

この前、空を見上げたのはいつですか?

オーロラの空、つれづれ 2/20190330

 上の記事からの続き…

 

ラスカ通いの最初の頃…30年ほど前には、例えば、職場の休暇取得の際に「アラスカってどこ?」「アラスカってどこの国?」と聞かれる有様で、かつては『北の十字路』だったのでアンカレジ空港をご存知の方はチラホラおられましたが、給油で立ち寄るだけですからアラスカ自体に詳しい方は皆無でした。

まだインターネットなどもない時代で、中にはアンカレジ空港(という近代的な施設)を利用したにも関わらず、「エスキモーが氷(雪)のイグルーに住んでいて、狩猟生活をしている人が大半」とか「一年中、極寒の地」などと、極端なことを言われたこともありました。(;^ω^)
ちなみに、アメリカ最北端のバロー(Barrow、現ウトキアグビク/ウキアビックとも Utqiagvik)などへ行けば、夏の最高気温が0℃ということもあり得ますが、内陸部のフェアバンクスは盆地のため、冬には-50℃以下になるかと思えば夏には30℃以上になることもあるという、世界でも寒暖の差が大きな都市のひとつです。

そして、アンカレジ空港だけを利用した方の感想は、無理からぬことかも知れません。
下の画像はアンカレジ空港に着陸直後の機上から撮影したものですが、空港から出なければ、アンカレジの印象はこのような風景だからなのです。
(当時は既にスナップはデジカメ=コンデジで撮影していましたが、まだ離発着時に撮影可でした。離発着時撮影不可になったのは、この翌年あたりから数年間だったかと…)
空港の背後には雪を被ったチュガッチ山脈の山並みが続き、反対側はクック湾で、その対岸にも街らしいものは見えません。ビルが立ち並ぶダウンタウンは少し離れていて、空港からはその様子をほとんどうかがい知ることが出来ません。

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2004.3.25 アンカレジ空港からの眺め


アンカレジ空港の国際線ターミナルのお店では、お出汁の効いた『うどん』が食べられるのが人気でした。私は国際線ターミナルを利用したのは2005年で、その後、新ターミナルに建て替えられてからは国際線ターミナルに足を踏み入れていないので(通常、利用するのはアメリカ国内線ターミナル)、今もあるのか不明…ご存知の方はおられませんか?空港サイトからは、リノベーション後にはなくなった気配。アンカレジの街の様子は、またの機会に。



ラスカ州(State of ALASKA)はアメリカ合衆国の一番面積が大きな州で、カナダの北にある飛び地…でお分かりになるでしょうか?二番目に大きなテキサス州の約2倍、日本の約4倍の大きさがあります。北米最高峰6190mのデナリ(Denali=偉大なるものの意で、旧マッキンリー山 Mt. McKinley)を擁し、人口はアラスカ全土で約71万人余り、最大の都市アンカレジ(Anchorage)に約30万人、第二の都市フェアバンクス(Fairbankus)に約3万人が居住しますが(いずれも周辺部の人口含む)、人口密度はアメリカ一少なく、1平方キロに0.4人ほど!(スッカスカ…(;'∀'))アンカレジやフェアバンクスの街に人口が集中していますが、それらの街のすぐ身近にも自然が溢れていて、広大な北の大自然が広がる地です。

この2つの都市の距離は、直線だと400kmちょっとで飛行機だと1時間かかりません。道路上の距離だと500km以上になりますが、道路事情の悪さや高低差があったりで、ジモティでも「冬の夜中に6時間で走った」というと「随分早かったねぇ!」と言われるかと…。(動物の飛び出しにはくれぐれも注意!)
道路沿いに景色の良い場所が沢山あって観光客は素通りすることがなかなか出来ないのと、観光シーズンの夏の昼間は道路工事が各地で行われて(冬は寒すぎるので、工事は夏季)何度もストップしなくてはならないことや(1か所で30分近く待たされることもザラ)、冬季は雪道やアイシーな道路に慣れていないと慎重にならざるを得ないので(街から離れてしまうと、衛星携帯電話でも持っていないと助けも呼べない!)、かなり時間がかかります。
なお、この距離は、東京から直線距離で神戸あたり、道路だと滋賀県内のどこかになるようです。 

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アラスカ州の大雑把な地図 by aurora_lummox

また、アンカレジはアラスカ州都と良く間違われますが、先に書いたようにアンカレジはアラスカ州最大の都市で、州都はアメリカ本土に近いもっと南東にあるジュノー(Juneau)です。そして、オーロラ銀座※として知られるフェアバンクスは内陸最大の街ですが、周辺部を入れて人口3万人弱。アラスカのヘソみたいな位置になります。(ちょっとヘソマガリ!)
※厳密にはオーロラ見物には地磁気緯度的にはもう少し北が条件的には良いですが、フェアバンクス以北には大きな町がないのと、アクセスが大変でコストもかさみます。

 

 

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ちろん、当時はオーロラを見に行くこと自体がまだまだ珍しく、旅行会社主催のツアーもありませんでした。一番最初は天文雑誌企画のツアーに参加したのですが、もっとオーロラを見る日数が欲しい!観測時間を確保したい!と思って翌年からは自分でツアーを作り始め、一番多い時には33名の大所帯になったこともありました。(もう体力的に無理!(;'∀'))

当初は、現地の一般の方にオーロラのことを話したり尋ねても全く興味を示さない方が多くて驚きましたし、オーロラの科学については一般の方はほとんどご存知なく…。アメリカ本土のオーロラが見られない州の方の中には、オーロラ自体を知らないという方にも何人もお会いしました。(゚д゚)

ですから、アラスカの人達にとっては主たる観光シーズンは夏で(これは今も変わらずで、海、山、河…各種アウトドア天国!)、まさか極寒の冬のオーロラ見物が観光資源になるとは思ってもみなかったために、オーロラ観測が出来る地域でも多くの宿泊施設が冬季は休業していたくらいです。(極寒の冬、人口密度の極端に少ないアラスカで通年営業をするにはメンテナンスや燃料費、コストパフォーマンスなどの問題が大きくのしかかってくるので、一度は通年営業をした施設も、また夏だけに戻ってしまったところもあります。)

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れから15年を経た頃には、オーロラ見物が出来る世界の多くの地で「オーロラ」の言葉が通じるようになったのは、それだけオーロラ見物のために出かけた日本人の多さのせい?おかげ?と言っても過言ではないと思います。

米国入国審査でも、当初は「オーロラ(Aurora)を見にアラスカへ行く」と言っても通じず、「ノーザンライツNorthern Lights=北極光)」と言わなければダメでしたが、少し時間はかかったものの、そのうち「オーロラ」(アクセントは、西城秀樹さん『傷だらけのローラ』の「Oh! ロォラァ~♪」のように!)で通じるようになったので、それだけ入国審査官は「オーロラ」を聞かされたのだと思われます。(今は、アメリカ入国で特に冬場にアラスカへ行くと判れば、オーロラ見物だと審査官は思っているんじゃないかとすら…( ̄▽ ̄))
また「オーロラ」は「Aurora Borealis」(南半球のオーロラは「Aurora Australis」)という学術用語の一部分で、そのせいか「オーロラ」では通じずに「オーロラ・ボレアリス」とまで言えば分かる方もおられました。なお、夜空に現れる光の舞いを「オーロラ」と名付けたのはガリレオ・ガリレイで、ローマ神話暁の女神アウロラ」から取ったものだそうです。

本では「オーロラ」と言えば、詳しいことを知らなくても「夜空にカーテンのように翻る光」(実際にはカーテン状ばかりではないのですが)だとほとんどの人が知っているのは本当に素晴らしいことで、「死ぬまでに一度は見てみたい」と多くの方が思う現象のトップとも言われることがあります。
物見遊山好きで、森羅万象に心惹かれる国民性もあるのでしょう。
大正6年、北原白秋が作詞した「行こか戻ろか 北極光(オーロラ)の下を」と歌われる『さすらひの唄』が流行して、大衆がオーロラというものを本格的に知って、憧れを感じて広まったのかも知れません。

 


界的オーロラの権威として知られるアラスカ州立大学の赤祖父俊一先生も「子どもの頃に母の背中で母が唄う子守歌でこの歌を聞いたのが、オーロラとの出会いだった」と、著書の中で書かれています。


そして、この歌は「露西亜(ロシア)は北国 果て知らず」と続きます。

私の幼馴染が幼稚園の頃からバレエを習っていて、その発表会でオーロラ姫がヒロインの『眠れる森の美女』を小学生の頃に観たことや、ディズニーの同作のアニメや絵本の影響(背景にオーロラらしきものが描かれていた記憶)もあって、私は子どもの頃にはオーロラはロシアで見られるもの、むしろロシアでしか見られないのだと思っていたほどでした。

なお、『さすらひの唄』は、トルストイの作品を元に作られた北原白秋作詞・中山新平作曲の戯曲の中の一曲だったため、舞台がロシアだったようですね。


なみに、オーロラと思われる現象が日本で最初に記されたのは『日本書紀』(赤気=せっき)とされていて、『明月記』の中にも記述があることが近年話題になりました。


ですから、この流行歌以前より日本人は『夜空を染める不思議な光』(日本はオーロラが頻繁に見られる場所からは遠く離れているために、極地方で見られるように明るくて激しく翻るようなオーロラではなく、北の空を(肉眼では)白っぽかったりほんのり赤く染めることが専ら)を認識していたものの、科学的側面がある程度解明されてから『北極光』『極光』『オーロラ』という名前が与えられてからは、まだ間がない時期の流行歌だったのではないかと思われます。明治時代のことを調べてみないと、確証は持てませんが。

このように、光の舞いの科学のみならず、(特に日本には)何故こんなにオーロラに惹かれる人が多いのかにも、大いに興味を覚えます。

も多くの方と同様に科学面はほとんど分からずにオーロラに会いに出かけて、初めての年に現れた壮大なオーロラの振る舞いに打ちのめされて、その美しさや振る舞いの不思議や謎をもっと知りたい!と素人ながら勉強を始めた訳ですが、神秘のベールの向こうには新たなベール…終わりというのはなさそうですが、もはや記憶力と理解力の欠損がはなはだしく、頭がついて行かないのでした。( ;∀;)


ハッ!余りに脱線しすぎました…。(゚□゚;)!
ヨックモックのクリスマス限定缶に話を戻さなくては!

まだ続くんかい!(# ゚Д゚)
流石に長くなりすぎたので、次に続く…。

 

 

 

現代語訳 日本書紀 (河出文庫)

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ビジュアルワイド 図解 古事記・日本書紀

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オーロラの日本史: 古典籍・古文書にみる記録 (ブックレット“書物をひらく”)

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オーロラの日本史 (ブックレット〈書物をひらく〉)

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